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自己紹介+ブログについて

管理人fukchangの自己紹介とブログの説明です。

管理人:
仙台出身・仙台育ちの大学生。
性別・女性
年齢・22歳
趣味・読書、登山、旅行――そして、趣味を通して得られたことを人に伝える
2009年9月から2010年7月まで中国上海の復旦大学に留学していました。
東日本大震災を受け、地元東北のために何ができるか行動中。


日本語と中国語で東北の「いま」を伝えるブログ「東日本Now!」管理人
http://blog.sina.com.cn/u/2170285197


このブログは留学中の思い出をどこかに保存しようという動機で作りました。旅行記は行動した日付で表示されるよう投稿しているので、新しい記事が奥の方に隠れることもしばしば、なので「更新記録」を作っています。

「続きを読む」をクリックすると詳しい自己紹介があります。

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更新記録

「続きを読む」をクリックすると「旅行」「上海市内観光」記事リストと更新予定があります。
Google mapで「旅行」「上海市内観光」で訪れた場所の地図を作りました!「続きを読む」の下にリンクがあります。

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2012.3.11

あの日から今日まで、いったい何が起こっただろう。あの日から今日にいたるまで、一日一日が怒濤の変化と感情の渦の中だった……この土地に生きるすべての人にとって。


被災地は徐々に変化していった。
雪は解け、春が訪れ、巨大な瓦礫は什器で持ち運ばれ、夏には田畑に野草が生い茂り、農地の小さな瓦礫も取り除かれるようになり、秋には草が枯れ、そしてまた冬が来てすべてはあの時と同じ静寂の中にある。

今日、仙台ではあの日と同じように小雪がちらついた。
今日、仙台はあの日ほどではないが街中は明かりが少なくなり、しっとりとした雰囲気に包まれていた……

多くの人があの時を契機に多くの人と出会うようになり、これまで見聞きしなかったものを見た。
初めは物資や燃料の支援がさけばれた。
避難所を訪ねて何をすべきか探った。
やがてがれき撤去や農地支援が行われるようになった。
教育や遊び、イベントで支援が行われるようになった。
漁業や農業、手工業など産業の応援と、商品の購入の形で支援をするようになった。
避難所がなくなるにつれ、仮設住宅のコミュニティをいかに作るかが課題になった。
支援の形はより多様になった。
瓦礫撤去、物資、農業、漁業、手工業、遠方への避難者への支援、洗浄、除染、買い物、プロモーション、チャリティグッズ、情報発信、教育、イベント、コミュニティ……
地元の人、近くの町から支援する人、遠くから来た人がそれぞれ自分のやり方で支援をした。

被災地が変わると同時に、
支援の形も変わってきた。
その土地に生きる人々が何を必要とし、何を考えているかによって、
支援の形も変わってきた。


そして今、被災地の真実とは何か…。
津波被害のひどかった場所は、大きな瓦礫はほとんどなくなったが、人影はほとんどなくさびしい。
仙台で開かれているイベントに行けば、逆にたくさんの支援者や市民がいて、にぎやかである。
そして、人々が抱える問題は仮設住宅や借り上げ住宅の中に入り、ますます見えにくくなっている……。

3.11あの日のままになっているところは少ない。
今日は、あの日を振り返る日であるとともに、
あの日からどこまで到達できたかを見てほしい。

被災地の寂寞とイベントの賑やかさのどちらが復興の真実だろうか。

両面が真実
人を見るだけではいけない。人の背景にある面としての土地を見なければならない。
現地を見るだけでいけない。その場所に生きている人の生きざまを見なければならない。
多面的であれ
場所と、人と、時間と、物語は多重に紡がれる。


―――――――――

さて

私たち被災者ではない支援者にとって、大震災とはなんだったのか。

ある人はこういった。
はじめは、震災は国民全体が共有できる物語――「大きな物語」として人々に共有された。――また同時に、震災が一種の「イベント」として働き、人々が協働し体験を作り分かち合う場になったことも否めない。

―――――――――

問題はますます複雑に、ますます見えにくくなっている。
これからの情報発信に必要なのは、
一つの出来事が震災復興という全体の中でどのように存在するのか、
全体を見通す力ではないか。

2012年2月上海旅行(2)

上海旅行の写真
(2月25・26日) http://photozou.jp/photo/list/1997085/6168631 (外部サイト)
(2月27・28日) http://photozou.jp/photo/list/1997085/6170966 (外部サイト)

P2262845
P2262845 posted by (C)fukchang

多倫路というのは、民国時代の作家たちが住んでいた場所で、前から行きたい場所の一つだった。
民国時代の、20年代から30年代にかけては、上海の文化が最も花開いた時期だと言って差し支えないと思う。
上海は中国の近代をリードしてきたが、20−30年代にかけては、工業・商業の面において他の都市を凌駕し、出版や映画などの文化も花開いた。経済・文化の発展した上海で、中国のたどるべき道を巡り文筆家たちは議論を巡らす。この時期に作家たちがここに集ったのは、一つに当局による弾圧を逃れるためでもあった。

今日の多倫路は、観光地としての整備が進み、文人たちを偲ぶ銅像や記念碑があちこちにあるとはいえ、新天地や泰康路のようなアートスポットとしては、それほど栄えてはいない。

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上海2012年2月(1)

上海、地獄の上に作られた楽園。

小説家がそう書いてから、すでに80年の時が経っている。
80年の時間ののち、上海はどう変わっただろうか……。

1年半ぶりにこの街に立ったとき、懐かしいとはまったく感じなかった。空港から市内に入るまでの路、市内に入ってからの喧騒はあの時と何も変わりはしない。まるで家と学校を行き来するときの、自然で単調な感じに似ている。こみあげてくる感動など何もない……。

上海は何も変わっていない。せいぜい日本資本の店があちこちに増えたくらいだ。

P2252789
P2252789 posted by (C)fukchang

P2252787
P2252787 posted by (C)fukchang

上海とはどういったところだろう?

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